せん妄状態でみていた夢の風景
5/5の子どもの日に、トラックとの正面衝突事故により日赤病院へドクターヘリで搬送され、日赤病院のICU(3階)へ。
肺挫傷により肺に血が溜まっていたため、
胸の下あたりに穴を開けてドレンホースを通し、溜まった血を外に排出したり、
酸素量が足りなくなったため、口に大きなホースみたいなものを突っ込まれ、強制的に酸素を体内へ送り込まれていたとのこと。
そして、激痛に耐えられないであろうということから、麻酔をかけられまくり、眠らされていた様子。
私が記憶があるのは一般病棟へ移動する時で
ベッドごとゴロゴロと連れていかれてたので
廊下などの天井をひたすら見続けて
7階の一般病棟の病室に着いたこと。
5/16の午前中のことで、事故から10日が過ぎていました。
10日間ほど眠らされていたために、私は
『せん妄状態』だったようです。
実際のICUの中の風景を全く覚えておらず
勝手に自分の頭の中で作り上げられた世界にいました。長めの夢の中です。
夢の中でも、私はバイク事故で入院していました。
ですので、一般病棟に移動して意識を取り戻した時、こちら(現実)の世界とごちゃごちゃになり、やっと面会かできた家族や緑王さんや肉王さまとの会話が、訳の分からないものになっていたようです。。。
前置きが非常に長くなりましたが
その10日間にみていた【夢】の世界を
今回ブログにしたためてみます。
ほんの一部ですが、、、
夢の中で入院していた病院あたりの地図を
上から見たところです。
夢の中では聞かされていました。
この近くで、赤信号で止まっていた白バイの横を、信号に気付かず勢いよく通り過ぎようとしたものの、白バイに気付いて急ブレーキをかけ、身体だけ前方の茂みに飛ばされて怪我をして入院している…ということでした。
婦長さん(師長さん)いはく
『うちは日赤病院系列です!』とのこと。
地下1階がある地上4階の建物。
3階の渡り廊下を渡って別棟にICUがあり円形。
フリーザが乗っていた宇宙船のような感じ。
そこから下には螺旋階段があって
直接外に出られる仕組みになっていました。
この病院では、1階にも私はいたことがあり
この病院の院長【片岡先生】が、奥に愛車である【SUZUKI隼】を置いており、
ある日、寝ている患者の私の足元を、バイクを押して出ていき、そのままツーリングに向かわれた時の様子を描いてます。
夢の中で初めて出会った人では
この人だけ名前が分かっています。
2階に寝てた時もありまして、1階と吹き抜け。
私の病室にある背の高い衣装ボックスみたいなやつの上に、何故か日本刀の刀身が6本あって、
夜の9時、気が狂った若い黒髪ショートカットのナースと緑王さん夫妻が、廊下でガチのチャンバラを行い、途中で警察が突入して、銃声が「パンっパンっ」と2発、聞こえてきました。
いちばん印象に残っているシーンは、
この夢の中で見た夢。
『車を運ぶトレーラーの後ろの部分』といって分かりますかね??笑
こんなんです。
これが突然、病院の前に出現して
一瞬で、私の地元の八代外港に移動したんです!!笑
そして、これがたくさん並びまくって、
角っこには、多くのライダーズカフェ。
夜中に、たくさんライダーが集まっており
なんとも、良い感じの雰囲気で、潮の香りがする、夜風が気持ち良い、夢の中の夢でした。
この夢の中の夢、3回ほど見ておりまして、
入院してたため、せめて夢の中だけでもと、タバコを吸う時がありました。
また別の日には、ナースが
『お変わりありませんかー?』と巡回してきて、
『私の夢の中ですけど…、分かってます?』と私が聞くと、
『もちろんじゃないですかー!笑』
と返事されたことがあり、
『人の夢の中に他人が入り込める時代になったんだなぁ〜、すんげぇ〜!』と感心したものです。
※ 夢の中の夢です!笑
…と、日赤病院のICUの中にいた約10日間の
私の夢の中の世界でした。
実際は、まだまだ多くのことがあってますが、絵に描きおこすには困難なシーンばかりで、ブログに書くのは諦めました。笑
あまりにもリアルな感じだったため、忘れることができず、やっとブログにしたためることができました!笑
そういえば、事故を起こすまで、テレビをほとんど見なかったのですが、入院中にテレビを見る機会が多くなり、
日赤病院に入院していた頃、おそらくまだボヤ〜っとしていた状態で見ていただろう、NHKの某番組を気に入って観るようになりました。
バックの背景の青色が、やたらと印象に残ってて、この番組が、観てて落ち着くようになりました。
あ、そうそう、
明日、退院となりました!